<はじめに> 速聴®は、なぜ「頭の回転を速くさせる」のか
記憶力の強化は、頭の回転を速くさせるが・・・・・・
ではなぜ、前頭葉の活性化が重要なのか。前頭葉は、思考・創造・判断などの働きをする部分で、これらの働きが速い人は、しばしば「頭の回転が速い人」と称される。つまり、「速聴」によって前頭葉を活性化させるということは、すなわち、「頭の回転を速くさせる」ことになると考えられるからだ。

「頭の回転が速い」ということは、いうまでもなく、他の人々よりも「秀でている」ことを意味する。他の言葉でいえば、「頭がよい」「頭がキレる」「知能指数が高い」ということだ。
「知能指数」は、生まれつき高い人もいるが、訓練次第で上昇させることもできる。
その訓練とは、わが国の学校教育の要となっている(そして批判の的にもなっている)記憶力のよさによるランクづけに見てとれる。つまり暗記の繰り返しがそれだ。

しかし、「記憶力のよさ」と「頭のよさ」は、しばしば一致する。だから、一流大学に入った人たちの多くは、それ以外の人たちと比較すれば、社会に出てから、あらゆる分野で成果を上げている。
では、なぜ「記憶力のよさ」と「頭のよさ」は、一致するのだろうか。

第一にそれは、彼らの脳に、学生時代に学んださまざまな情報(社会・人文・自然科学)が正確に入力されているからだ。
ごく単純化して話すと、これらの情報は潜在意識に収められ、熟成され、頭の中でさまざまに結合する。社会経験というものを土台として、自然科学の知識同士が結びついたり、人文科学の知識と社会科学の知識が結びついたりして、そこから、優れたアイディアが生み出されるのである。
もっとも、このような仕組みは、飛躍的アイディア、つまり驚くべき発明のようなものは生み出さない。
しかし、優れた改良ならお手のものだ。つまり、すでに発明されたものに○×をつける脳力には長けているのである。

少し単純化し過ぎたが、要はそういうことだ。飛躍的なアイディアというのは、「バカな質問を次々と問いかけるような人々」を大切に扱う教育環境でなければ生み出されない。この場合、実は本当のバカだったという例も出てくるだろうが、それ以上に本当の天才が数多く発掘されるものなのである。

第二に、記憶力に頼る学習方法は、大脳の記憶中枢(領域といってもよい)を活性化させる。こうして、大脳のある部分が活性化されると、それは他の部分にも影響を及ぼすに至る。これを汎化作用〔波及効果、高度な創発性(ロイド・モーガン博士)、あるいはコットン・キャンディー効果ともいう〕と呼ぶ。こうして、記憶力の強化は、「頭のよさ」につながるのだ。

一方、発明力とでもいうものを開発するのなら、創造力に頼る学習方法で創造中枢を活性化させ、汎化作用を起こせばよい。
しかし、創造中枢が活性化している人々は、普通(主に子供のころは)劣等生と評価されることが多い。教科書はそっちのけで、蟻の動きを一日中ながめていたりする。
そしてそのまま一生を終える人もいるが、そういう人は他人から通常、変人・奇人などと呼ばれる。なぜそうなってしまったかといえば、創造中枢が活性化しているところまではよいが、それがある閾値に達し、相転移して汎化作用が生じるまでには至らなかったからである。
たとえていえば、氷点に達したが水から氷にならず、アイススケートができるまでには至らなかった、ということだ。
谷崎潤一郎といえば、後世にも名が残るであろう大文豪だが、彼の脳に汎化作用が生じなかったとしたら、彼は単なる変態ジジイにすぎない。

このように脳に汎化作用を生じさせるためには、やはり後述する大脳の特定部分を刺激してやる必要がある。
むろん谷崎の場合はそのような方法をとらなかったが、何らかの類似の努力をしていたはずだ。だが今では、特に努力をしなくても、この汎化作用を生じさせる方法が完成されているのである。

ところで、社会人になってから心を入れ替えて、学生時代にあまり勉強しなかった分を取り戻して記憶に努め、「頭の回転を速くしよう」とするには、非常に大きな困難を伴う。
かといって、「私の頭の回転は速くなる」と深層自己説得(自己暗示)したところで、まったく何の効き目もない。他人からそのような催眠(他者催眠)をかけられても同じことだ。